2013年08月29日
寿産院事件
日本でこんな事件があったことはとてもショックだった。
これも戦争のなせる業だったのか。でも、産婆さんが
この事件の首謀者であり、共犯の旦那は憲兵軍曹から
警視庁巡査をしていたときくとさらに大きな衝撃となった。
昭和19年4月より昭和23年1月にかけて東京都新宿区
でおこった嬰児の大量連続殺人事件。被害者の数は判明
しておらず、推定被害者人数は85人から169人の間とされ
ている。
第二次大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿
産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が
常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死など様々な
死因で嬰児が亡くなっていた。この産院を経営する上記の
夫婦は乳幼児を貰い手と譲り手両方の新聞広告を出し、
200人以上の乳幼児を集め、1人につき4000円~100
00円の養育費を受け取り、貰い手からは500円を受け取っ
ていた。
また当時、乳児養育用の配給の砂糖や、預かった子が亡
くなると葬祭用に特配されるお酒をヤミに流してそこからもも
うけていた。
昭和27年4月東京高等裁判所は、主犯女性に懲役4年
夫には懲役2年の判決を下している。
戦争中、戦後間もなくのことで人権意識の低下があったとは
いえ大変むごたらしい事件で懲役4年というのは現在ではとて
も考えられないことだと思う。
加害者2人とも、この事件を起こす前はきっと善良な市民
であり、人の役にたちたいという思いがあったのだと思う。それを
変えさせたのは、やはり戦争と荒廃した町並みであり、「生きる
ための」仕方なさが前面にでてしまったのかもしれない。
そう考えると、戦争は2度とあってはならないと思う。人権を守る
という思いを戦争はいとも簡単に崩壊させるだけの力がある。
そして、人の心も弱いものだと思う。
この事件を契機に、児童福祉法ができ子どもの人権が守られる
ようになったとの事。
福祉を守る、人権を守る。今、そこが守られない時代に入って
しまったような気がしてならない。そう感じるのは私だけではない
と思う。
いけたに
これも戦争のなせる業だったのか。でも、産婆さんが
この事件の首謀者であり、共犯の旦那は憲兵軍曹から
警視庁巡査をしていたときくとさらに大きな衝撃となった。
昭和19年4月より昭和23年1月にかけて東京都新宿区
でおこった嬰児の大量連続殺人事件。被害者の数は判明
しておらず、推定被害者人数は85人から169人の間とされ
ている。
第二次大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿
産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が
常態となっており、また、凍死、餓死、窒息死など様々な
死因で嬰児が亡くなっていた。この産院を経営する上記の
夫婦は乳幼児を貰い手と譲り手両方の新聞広告を出し、
200人以上の乳幼児を集め、1人につき4000円~100
00円の養育費を受け取り、貰い手からは500円を受け取っ
ていた。
また当時、乳児養育用の配給の砂糖や、預かった子が亡
くなると葬祭用に特配されるお酒をヤミに流してそこからもも
うけていた。
昭和27年4月東京高等裁判所は、主犯女性に懲役4年
夫には懲役2年の判決を下している。
戦争中、戦後間もなくのことで人権意識の低下があったとは
いえ大変むごたらしい事件で懲役4年というのは現在ではとて
も考えられないことだと思う。
加害者2人とも、この事件を起こす前はきっと善良な市民
であり、人の役にたちたいという思いがあったのだと思う。それを
変えさせたのは、やはり戦争と荒廃した町並みであり、「生きる
ための」仕方なさが前面にでてしまったのかもしれない。
そう考えると、戦争は2度とあってはならないと思う。人権を守る
という思いを戦争はいとも簡単に崩壊させるだけの力がある。
そして、人の心も弱いものだと思う。
この事件を契機に、児童福祉法ができ子どもの人権が守られる
ようになったとの事。
福祉を守る、人権を守る。今、そこが守られない時代に入って
しまったような気がしてならない。そう感じるのは私だけではない
と思う。
いけたに
Posted by 輝望会スタッフ at 18:54│Comments(0)
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