死して名を残す

輝望会スタッフ

2015年11月09日 11:35

 先日静岡新聞のコラム欄に「虎は死して皮を
残し、人は名を残す」という言葉が紹介されていた。

 名を残すことを余りにも意識過ぎると、自身の思いが
優先され、他の人の意見に耳を傾けなくなってしまわな
いかという内容だったと思う。


 政治家が名を残す方法はいろいろあるのかもしれない。
いわゆるハコモノをつくる。「この建物は、OO市長の時に
作られた」とか、後世まで名が残る。
 一番の残し方は、歴史書に名がのることなのだろうか。



 大なり小なり仕事をやっていれば、名を残すためでは
なくても、ある一定期間は名が残る時がある。


 ただ、仕事をしていく目的が己の名を残すためだけに
なってしまうことは、あってはならないことだと、常日頃から
自身の行いに注意をしないとならないと思う。


 5年ぐらい前「私は子に何を残すか」というブログを
書いた。財産、土地とかではなく「自由・平等・博愛」
という考え方を子に残したいと。少しずつ、そういう
考えが子に伝わっていき、根付いていってほしいと
そう思っている。名を残すことではなく、モノの考え方
捉え方を伝えていければ、それで良いと思う。


 人には欲がある。存在を認めて欲しいという欲
がある。死してもその欲を継続したいのだろう。だから、
名を残したいと思うのか。
 私は、酒の席かなんかで「そういえばあんな人がいた
な」ぐらいで十分だと思っている。

 葬式もひっそりと家族だけで。少しでも私の存在を
認めてくれる方が居るのなら、墓で線香でも手向けて
いただければそれで良い。




 名を残すことだけに執着し、いろいろな考えを封じ込
めることだけはしたくない と思う。


                           いけたに

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